大阪と東京で笑いのツボが違うのは「失礼」の基準の差かもしれない|化学魔
Twitterでバズったのでせっかくだからちゃんとまとめてみます。本記事は投げ銭形式です。 筆者の違和感 筆者は18まで兵庫県育ち、大学は27まで京都で、そこから5年くらい...
https://note.com/kagakuma/n/n08e25cc82c06?sub_rt=share_sb
とある東京の書店のYouTubeが面白いと聞いたので見てたけど、なんとなく若干イライラしてきてた。
なんでだろうと思ってたけど、もしかしたら笑いのツボが違うのかもしれない。
と思ってnoteを見ていた。
これが違和感の正体かどうかは分からないけれど、少なくとも東西で笑いのツボが違うのは納得した。
たとえばグンマー国なら野蛮な人物がいることは当然なんだけれど、
一方奈良県民は自家用鹿に乗って通勤していた。
グンマーはあくまでグンマーであり群馬県とは関係がないのだけれど、
この場合の奈良県は奈良県である。
仮想的なコピーを作ってそれでハチャメチャなことをする、要はドリフみたいなことをしてるのが東京。
ドリフはネタによってその人の役割が異なるので、オチで使う道具は一緒であっても経緯が大きく異なる。
いっぽう上方は実際に存在する「それ」を弄っている気がする。
新喜劇はコピーを作ってハチャメチャにしてるのではなく、あくまでその演者自身をいじっている。
たとえどのシチュエーションでも同じ経緯で同じネタが発生する。
奈良県民が「奈良は山とイオンしかないよ」というような自虐が発生するのは、奈良が上方文化寄りだからなのかもしれない。
そういうやり口は東京には存在しないのかも。